殆どの人は亡くなると両親や先祖の眠っているお墓に埋葬されることを希望し、また、最近まで大体はそのようになってきました。先祖代々の遺骨は菩提寺で供養され、管理されていて、檀家が葬儀や法事を行う度にお布施などを出すとともに各地から親族などの寄り集まる場所が菩提寺になってきたわけです。
ところが、この習わしは高度経済成長が始まり、その後、景気の“失われた20年”を体験する頃から劇的に変わり始めたといわれています。大都市圏市街地のインフラ整備が始まると地方から大量の住民が仕事を求めて移動し、都市生活を始めたのがその発端になったようです。
しかも、家族揃って大都市圏に定着する期間が長引くにつれて故郷が次第に縁遠い存在になってしまったようです。都市生活していて親族内に不幸があっても菩提寺を利用せず、自宅周辺の葬儀社に依頼してすべてを済ませるようになりました。
低成長経済の下でサラリーマンの賃金が殆ど伸びない、先行き不透明な時代ですから、都市生活者は不必要と考える出費を抑える、生活の簡略化で切り抜けてきたといえるようです。葬儀の簡略化傾向もその表れの一つだと捉えられています。
また、故郷に帰る機会を減らしている内に大都市圏生活の比重が増して檀家としての役割に対する意識が薄れてきたといえます。檀家が菩提寺の経済的スポンサー機能を手放したり、檀家でなくなってきたわけです。この点で、長く続いてきた菩提寺の制度が崩れつつあるので、寺院を生活の拠点とする僧侶が変身を迫られているといえるわけです。